八幡明彦記念基金の公式サイトへようこそ

こちらは八幡明彦記念基金の公式サイトです。

この基金は、2011年3月11日に発生した東日本大震災および津波で被災した、
宮城県本吉郡南三陸町歌津地区で支援活動に従事していた八幡明彦氏の遺志を継承し、
同地区の子ども支援、および同氏の専門研究分野であったクモの研究者の支援のため
設立されたものです。

八幡明彦氏 プロフィール




1962年、父の留学先のニューヨーク州シラキュースで生まれる。同年、キリスト教の洗礼を受ける。洗礼名はペテロ(英語名ピーター)。
 帰国後、神奈川県立緑ヶ丘高等学校を経て京都大学理学部に進み、在日コリアン居住地域での児童支援活動、日韓問題やホームレス問題を含む当時としてはタブー視されがちな社会問題などに取り組み、キリスト教精神に貫かれた行動的で時として攻撃的な大学生活を送った。その後、学生時代に社会貢献活動を通じて知り合った女性と結婚、2女に恵まれる。

 自身の所属するキリスト教団体の国内・海外幹事を歴任し、将来を嘱望されたが、上級幹事との軋轢が原因で帰国、以後キリスト教関係者と1線を画し、クモの研究に没頭するようになる。「ささがにの郷ビオトープ研究所」勤務を経て、2011年、東日本大震災発生後に宮城県本吉郡南三陸町歌津にRQ市民災害救援センターのボランティアの1員として入る。クモ好きの「スパイダー」のキャンプネームに加え、のちに「蜘瀧仙人(くもたき・のりと)」の俗称を名乗り始める(葬儀の時まで本名を知らなかったという人も地元歌津に多くいた)。地域に暮らす方の暮らしぶりや地域特性を知り、地域の児童教育の支援の必要性を痛感。同年、「歌津てんぐのヤマ学校」を主宰し、子どもたちとデイキャンプや野外体験を通じ、地域の文化や伝統・自然の恵みに対する目を養うべく尽力した。その傍らクモの研究者として歌津で新種のクモを発見、「ウタツホラヒメグモ」(日本蜘蛛学会)と命名される功績を遺した。

 地元の小学校やNPOと連携した活動を展開していた矢先、2014年5月に交通事故で死去。享年51歳。200人を超える歌津の子どもたちや保護者、学校関係者、ボランティア仲間などに見送られながら旅立った。後日東京の教会で行われた通夜・葬儀では、友人・知人・ボランティア仲間など多くの人が訪れ、早すぎる別れを惜しんだ。

 最後まで社会的に弱い立場に置かれた人々のことに思いを寄せ、強い信念と情熱で行動した1生であった。同時に、家庭においては子育てや家事にも全力を注ぎ、家族に忘れられない思い出を多く残したよき夫、よき父親でもあった。

( 蜘瀧仙人著 「僕が歌津にいた理由」より )